韓国ドラマ時代劇を見ていると、人々の間には厳格な身分制度があったことがことさらに強調されることがあります。なんとなーくわかっていることだと思いますが、一応整理しておきましょう。
厳格な身分制度
良人と賤民
まず身分は、大きく「良人(ヤンイン)」または 「常民(サンミン)」と、「賤民(チョンミン)」とに分けられます。良人は、自由民なので、科挙に合格すれば官職を得ることもできました。租税、国役などの義務を負います。それに対して、非自由民だったのが賤民です。彼らは、個人や国家に隷属していました。ドラマでも劇的な設定で出てくるのは、賤民のほうかもしれません。いわゆる奴婢(ノビ)と呼ばれる人たちは、この賤民の大部分を占めていました。
常民(サンミン)とは
良人もしくは平民とも呼ばれます。民衆の大部分を占めるのが、彼ら「常民」で、具体的に農民、手工業者、商人たちのことです。こうした人たちも科挙の試験は受けられましたので、官吏への道は開かれていました。しかし、科挙の準備には多くの時間とお金が必要でしたので、彼らが科挙に合格するのは、そう簡単なことではありませんでした。戦争で手柄を立てる、などということでもなければ、身分を上げる機会はなかったのです。大部分の農民は、租税や貢納、夫役(肉体労働)などの義務を負っていました。ドラマなどに見るように、農民に課せられたこうした義務は、ときに生計を脅かすほど、重いものでもあったのです。
手工業者は、「工匠(コンジャン)」と呼ばれ、官営や民営の手工業に従事し、商人は国家の統制のもとで商売を行っていました。日本の「士農工商」と同様に、農業を重んじた朝鮮王朝では、商人の地位は農民よりも低い位置にありました。
身良役賤(七般賤役)
良人であっても、賤役(差別的な扱いをうける仕事)を担当する身分階層がありました。彼らを「身良役賤」と呼びます。四字熟語のようでちょっと難しいイメージがありますが、ドラマには頻繁に出てくる人たちです。「七般賤役」とも呼ばれ、仕事は次の7つです。
- 水軍
- 早隷(官庁の雑用などをします)
- 羅将(刑事業務を担当します。拷問シーンや牢獄シーンでおなじみの人たちです)
- 日守(「郡」の役所の雑用をします)
- 烽燵軍(烽火(のろし)の業務にあたります)
- 駅卒(駅に勤務。駅とは、役人が馬を乗り継ぎするところです)
- 漕卒(穀物などを運搬する仕事です)
いずれも、決して楽な仕事ではなかったようですよ。
賤民(チョンミン)とは
賤民のほとんどは奴婢でした。ドラマでは、「人として生きたい」とか「人間らしく扱われたい」というセリフが定番。その言葉通り、家畜のように主人の財産として扱われました。したがって、売買、相続、贈与の対象だったのです。父母の一方が奴婢であれば、その子も奴婢となりました。ドラマで描かれることが多い奴婢なので、もう少し詳しく理解しておくと面白いですよ。
奴婢は、国家に隷属した公奴婢と、個人に隷属した私奴婢とがありました。また私奴婢はさらに、主人の家に住み込んで労働に従事する「卒居奴婢」と、主人とは別の独立した家屋に住む「外居奴婢」とに分かれます。「外居奴婢」は、主人のもとで働く代わりに「身貢(人頭税。布や米など)」を捧げました。公奴婢の場合は、その対象が国家となります。
両班(ヤンバン)と中人(チュンイン)
そもそも両班とは
両班(ヤンバン)とは、本来「文班(ムンバン 文官のこと)」と「武班(ムバン 武官のこと)」とをあわせた呼び方でした。しかし、両班による官僚体制が整備され定着していくと、文班や武班の役職を得た人たちだけではなく、その家族や家門のことをも両班と呼ぶようになり、階級として定着しました。
でも、この状況だと、良人であれば、基本的に科挙を受けることができましたから、次第に両班が増えていくことになってしまいます。支配層として定着した両班の士大夫らは、当然のことながら自分の既得権益を守るために、これ以上両班が増えないようにする防止策をとるようになります。そこで、文班や武班の官職を得た人のことを「士族(サジョク)」と呼んで区別するようになります。
厳格な身分制の社会だった朝鮮王朝時代ですが、実は身分の移動は不可能ではありませんでした。まず、法的に良人であれば、科挙を受けることは可能でしたから官職を得て両班になることもできたわけです。逆に、両班であっても、謀反などの罪を犯せば、あっという間に奴婢になりました。経済的に没落して中人などになる人も少なくなかったのです。両班はおろか、王族ですらも相当貧しい生活を強いられることもありましたので、まさに「武士は食わねど高楊枝」状態だったわけですね。
韓ドラ時代劇のなかでは、こうした身分の変化が、ドラマチックに描かれます。お嬢様が突然奴婢になったり、奴婢だった少女が後宮になったり。そこが、楽しみの一つですね。
また、厳格な身分制度とともに、家父長的家族制度も社会秩序の中心となりました。いわゆる「男尊女卑」が徹底されたわけです。男子であっても、嫡流(正室の子)と、庶子(妾腹の子)とその子孫とでは大きな差がありました。さらに、女性の再婚も禁じられていました。ドラマを見ていると、かなり理不尽な扱いを受けている人たちが登場することもあります。
両班の生活
両班のなかでも権力を握った者は、広大な土地と多くの奴婢を所有していました。科挙や蔭叙、薦挙(科挙を受けずに身分的に融通を聞かせてもらって官職を得ること)を通して、国家の高位高官を独占するようになります。両班は経済的には地主、政治的には役人でしたから、生産活動には従事しません。ひたすら、現職や予備官僚としての活動を行い、儒者としての素養と資質を磨くことが務めだったのです。
両班は、法と制度によって自分たちの身分的特権を制度化します。さらには、各種の国役(労務や兵役など)も基本的に免除されていました。
中人とは
両班らの官僚を補佐したのが、中人(チュンイン)と呼ばれる人たちで、彼らも身分層の一つとして定着します。こうした支配層の両班と、支配される側の中人らと、隷属する賤民というように、身分が区別されました。
中人とは、広い意味では両班と常民の中間の身分の人たちのことですが、狭い意味では技術をもつ人たちのことを意味します。中央と地方にある官庁の書吏(ソリ 事務職員のような人)や技術官は、その職役を世襲しましたので、同じ身分同士で結婚し、官庁に近いところに居住していました。実は、両班の庶子(嫡流ではない子ども。つまり妾腹の子)は、中人と同じ身分として扱われました。彼らは、文科の受験が禁止されていましたので、官職を得るには武班となるしかなかったのです。
中人は、両班から差別されることはもちろん、冷遇もされました。しかし、専門的な高い技術を持ち、行政の実務を担当していましたから、思うままに権勢を誇ることも可能だったのです。たとえば、訳官(通訳)などのなかには、使者に随行しながら貿易にも関与、語学力を駆使して富を築く人もありました。
ちなみに、「大長今」の名敵役のチェ尚宮や、「火の女神ジョンイ」の沙器匠たちなどは、こうした身分の人たちです。意外とドラマのなかでは、重要なポジションにいるんですね。