朝鮮王朝の王様たち

純祖(スンジョ) 第23代王

純祖(スンジョ)は、10歳という幼い年齢で即位しました。彼の時代、政治の綱紀が乱れ、民衆の生活は苦しくなり、長い朝鮮王朝にもいよいよ斜陽が訪れます。

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貞純(チョンスン)王后の垂簾聴政

革新的な政治で、朝鮮に大きな変革をもたらしたかに見えた正祖(チョンジョ)でしたが、彼の死によってその火は消えてしまいます。

毒殺されたという説もあるそうですが、48歳のとき背中の腫物が原因で正祖は亡くなり、10歳の純祖が即位します。10歳の少年の背後で、垂簾聴政を始めたのが貞純(チョンスン)王后です。貞純王后は、僻派(ピョクパ)の実力者の妹で、目的のためには手段を選ばない人物でした。彼女はまず、正祖の時代に排除された僻派を大勢登用し、正祖のもとで政治に携わっていた人たちをことごとく粛清していきます。そして、彼女は純祖の即位を交付する文書の中で、「斥邪」、つまりカトリック教徒への弾圧・迫害の方針を掲げます。

そもそも、神の前に人は平等と説くキリスト教と、序列に基づく礼を重んじる極端な儒教理念が共存できるわけがありません。キリスト教の教えを認めることは、儒教を建国理念に掲げた朝鮮王朝そのものを否定することになります。さらに、正祖を支えた時派(シパ)や南人(ナミン)には、カトリック教徒が多かったのです。最新の西洋の科学は、キリスト教とともに入ってきましたから、実学を重んじた時派の人たちは、当然のことながらキリスト教にも触れていたわけですね。

つまり、僻派の政権を確立させたい貞純王后にとって、カトリック教徒への弾圧・迫害は、王朝を守るという大義名分のもと、政敵を徹底的に排除できるという一石二鳥の政策だったわけです。これにより、数万人ともいわれる人たちの血が流されました。特に、5つの世帯を一つに束ねて互いに監視、連帯責任を負わせる制度(「五家作統法(オガチャクトンポプ)」)がありましたので、キリスト教徒以外の人たちも殺されたといわれています。

はてな

僻派:主に老論系の人たち。「時流を無視して党論にばかり偏っている」という意味でついた名称。正祖の父荘献(チャンホン)世子(のち、思悼(サド)世子)の死を当然のことと考えている人たち。

はてな

斥邪:邪学と異端を排除するという意味。邪とははじめカトリック教徒のことを指していたが、のちに外国との通商反対運動の意味も持つようになる。

安東(アンドン)金(キム)氏の勢道政治のはじまり

4年間の垂簾聴政から退いた貞純王后は、1年後に亡くなります。彼女にとって代わったのが、永安府院君(ヨンアンプォングン)金祖淳(キム ジョスン)です。

正祖が存命で、純祖がまだ世子だったとき、その配偶者選びが行われていました。王や王子などの配偶者を選ぶ手続きを「揀擇(カンテク)」といいますが、これは基本的に3つの段階を踏みます。まず、第一段階の初揀擇、続いて第二段階の再揀擇、最後の三揀擇です。純祖の場合、再揀擇までが行われ、正祖の意思は金祖淳の娘に決まっていたものの、正祖の突然の死によって三揀擇が延期されていました。金祖淳は、目立った動きを見せずうまく立ち回ってはいたものの、時派の人でした。ですから、たびたび貞純王后や僻派の妨害にあいましたが、結局彼女が王后として冊封されます(純元(スヌウォン)王后)。

貞純王后という大きな柱を失った僻派は、没落の道を歩むことになります。王后の揀擇を妨害し、正祖の遺志に背いて時派を退けたわけですので、時流が変われば粛清の対象にしかなりません。

僻派が追放されたあと、金祖淳は、国舅(クック=国王の義父)として幼い王の側につかえながら、一族で要職を独占していきます。このような政治を「勢道(セド)」政治といいます。

一族で朝廷の要職が占められてしまえば、彼らをけん制する力はもはや存在しません。当然、専横と賄賂が横行するようになります。科挙制度が乱れて売官売職が行われ、貪官汚吏の横行、庶民からの搾取が始まり、そのうえ大規模な水害などしばしば自然災害が発生しました。こうなると庶民の生活は困窮する一方となり、流民などの発生は社会の治安も悪化させます。やがて、朝鮮の各地では農民の反乱が起きるようになりました。

純祖も、この事態を黙ってみていたわけではありませんでした。孝明(ヒョミョン)世子の世子嬪を豊壌(プンヤン)趙(チョ)氏から迎え入れ、世子に代理聴政をさせることで安東金氏に対抗させようとします。しかし、これは単にもう一つの勢道勢力を生み出す結果となってしまい、均衡と牽制が保たれるような政界再編へとはつながらなかったのです。

こうした勢道政治は、それまでのような党争がない代わりに、反対派も出てこない独裁体制でした。民衆の暮らしや社会問題、そして迫っている西欧列強勢力にも目を向けず、一族の繁栄だけを追求する時代の末に、朝鮮王朝も衰退の道を進んでいくことになるのです。

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